PROFILE / オーノキヨフミ


PROFILE / オーノキヨフミ

PROFILE
オーノキヨフミ
1978年9月29日生まれ
北海道北見市出身
血液型:A型
身長174cm
シンガーソングライター
2004年 ビクタースピードスターレコードよりメジャーデビュー
2007年以降の作品は hei-bon RECORDSにてリリース
作詞、作曲、編曲、録音、アートワーク等も行うマルチミュージシャン
Web制作、動画制作、CM楽曲製作も手がけている

2002~2017年まで東京で活動
2017年から札幌に拠点を移す


主な経歴

●1978~1994年

1978 9月29日 北海道北見市端野町にて生まれる。

幼少時は体も小さく、弱々しい少年だった。昆虫図鑑を好んで読み、小学校の頃は周りから「昆虫博士」と呼ばれた。

中学に上がりバレー部に所属(バレー部はこの年設立されたため設立メンバーの一人に)。年中休みなしの練習で全道大会に進出(本人はさほど活躍せず)。しかし身長は小さいまま。ちなみに冬休みの練習は暖房設備が無いため、-20℃の体育館で行われた。

この時期、あるいじめっ子によくからまれる。休日無しの部活とともに本人にとってひときわ辛い時期であったが、この経験がのちの音楽への情熱になった。彼への思いは後に歌となり中学校で歌われる事に。

サザンオールスターズに衝撃を受ける。


●1995~2003年

16歳でそれまで続けて来たバレーボールをやめる。17歳の時にハンバーガーショップでアルバイト。その資金を元にギターを手に入れ、作詞作曲活動を始める。

ビートルズ、サイモンアンドガーファンクルに衝撃を受ける。

友人達が学園祭などでライブを行う中、一人黙々と家で作曲。録音。

高校卒業後、札幌へ転居。

すすきので路上ライブ開始。

それまで宅録少年だったオーノはメンバー募集を見てバンド「ミッテランズ」に参加。初めてのライブハウスでのライブもバンド「ミッテランズ」のギターとして経験。その後、幾度と無いバンドに参加、解散。

「自分の音楽」を奏でるために自宅録音中心の音楽制作活動が続く。

20歳の夏、一週間前に道で知り合った友人と九州から北海道までのヒッチハイクの旅を経験。全国で歌う。この時期、札幌にて多くの仲間と出会う。

その後作成した楽曲「キャンディ」のデモテープがきっかけとなり、株式会社りぼんと契約。 同社インディーズレーベルより「世界0」「ピンクのライオン」等、CD2枚をリリースする。

この時期札幌時代に北海学園大学の映画研究部に所属。出演した映画が札幌学生映画際にてまさかのグランプリ獲得。その作品は現在お蔵入り。


●2002年 3月 東京に移住。

敏腕マネージャー瀬戸氏と出会う。

平凡、僕と鉄人、シュテラ、赤色の帰り道、ツバメグサなどのデモ音源を制作。

Bass隅倉弘至(初恋の嵐)、Drum森信行(元くるり)と共にバンド編成にてライブ活動を行う。

2003年 「平凡」のデモがきっかけとなり、「ビクタースピードスターレコード」と契約。


●2004年

ビクタースピードスターレコードよりデビューシングル『平凡』をリリース。

STVラジオにてアタックヤングのパーソナリティーに。本人はこの番組のファンで、中学生の頃ハードに聴いていた。あまりの嬉しさに涙を流す。

tvk(テレビ神奈川)で人気の番組『saku saku』のエンディングテーマとして起用される。 セカンドシングル『ショッキングエクスプレス』をリリース。 全国フリーライブツアーを実施。

TVK『saku saku』では2作連続エンディングテーマに起用される。

ファーストアルバム『君に太陽を!』(佐久間正英プロデュース)をリリース。SHIBUYA BOXXにて初のワンマンライブ『平凡超特急』を敢行。会場は超満員。熱気に包まれたライブとなった。その後、楽曲制作期間に入る。


●2005年

初の海外旅行(New York)を経験。帰国後、現在のスタイルに繋がる数々の楽曲が生まれた。

新たにサポートバンド(後にThe JINJAと命名)を編成し、バンドでのライブがスタートする。 セルフプロデュースを前提としたセカンドアルバムに向けたレコーディングがスタート。 ライブでもグルーヴィーな音を奏でるバンドメンバーとの制作となった。

サードシングル『新宿西口摩天楼』をリリース。在庫が少なかったためか、各店で売り切れが続出。同曲で初のオリコン入りを果たす(デイリー47位)。

デビュー/セカンドシングルに続く、3作連続でtvk『saku saku』のエンディングテーマに起用される。さらに、番組スタッフと共に制作した「練馬のうた 第二章」がボーナストラックとして収録される。

雑誌「ぴあ」の8月満足度20代1位を獲得。

SHIBUYA CLUB QUATTROにてワンマンライブ「パラダイス神社」を敢行。

TOYOTAトヨペットCM「ラクティス編」に出演。


●2006年

四枚目のシングル「100マイル」をリリース。

The JINJAと共に制作したセカンドアルバム「Country Map」をリリース。

自身3度目となるワンマンライブ「カントリーマブダチ」を敢行。

ワンマンライヴ終了に合わせて、お世話になっていた瀬戸マネージャーが退社。

活動を一旦ひと区切りして単身インドへ渡る。

旅行会社のツアーを組んでいかなかったため、数々のピンチに遭遇 するも、無事ガンジス川を見ることに成功。 文化の違いにショックを受けるも、この旅はその後の人生に大きく影響する。ヴァラナシのサールナート(ブッタが動物達に説法した場所)は夢に見たことがある場所だった。これまた衝撃を受ける。

バンド/アコースティックソロ/アコースティックデュオなど様々な形態でイベント出演。

丸山茂雄氏主宰の音楽配信サイト「mf247」より新曲(デモ)「およげ!深海魚」を発表。 「mf247」のサイトポリシーである、未完成音源(デモテープ/未編集ライヴ音源など)の配信拒否に該当するものの、高いクオリティで完成していることと、リリース予定のない状態でも発表していくという新しい試みへ賛同があり実現された。

配信後、サイト内チャートのロック部門1位(総合2位)を獲得。 次作への期待が高まってきていることが認識される。

再び「mf247」から新曲デモ「TVガール」を発表。夏以降のライヴで演奏してきたことと、前作で培った実績が功を奏し、ロック部門で5週連続1位を記録。

一年の活動を、大晦日@川崎ラチッタデッラでのフリーライヴで締めくくる。即売会購入者用の特典CD-R(50枚)も、瞬時に配布終了。


●2007年

4月発売予定の新譜「ラディカル」の制作が無事終了し、引き続きリードトラック「TVガール」のPV撮影に入る。 4th sg「100マイル」の監督:カトウカズヤ氏に再度依頼し、都内スタジオにて僅か3時間の撮影で全て素材を撮るというタイトな作業も、カトウ監督の完璧なディレクションにより難なく終了。

引き続き、CGを駆使した編集作業に入る。 TVガール・Tシャツのキャラクターデザインを手掛けた漫画家よしもとよしとも氏とのコラボレートによるジャケット制作。

携帯電話を持たないよしもと氏との確認作業が難航、入稿間際まで二転三転しながら無事完成。

下北沢モナレコードを皮切りにアコースティック・ワンマンライヴ“お父さんは、心配性”を毎月(最低)1回のペースでスタートさせる。 「ラディカル」の制作作業もほぼ終了し、お店周りなどの営業活動へ参加。関東近郊のお店を中心に十数店舗への営業。

「ラディカル」発売に伴い、怒濤のインストア&ライヴ攻勢。全7公演をほぼ毎週末行い、出身地である北海道(札幌&北見)での公演も数年振りに実現させる。

地元・北見では、オフの日を利用して出身中学へ久々に顔を出したところ、思いの外歓迎され出身クラス“2-A”で後輩たちに囲まれながら給食をご馳走になることに。その後、先生方の強い要望もあり、急きょ翌日体育館で歌うことに。

2年以上行なっていなかった関西公演(京都&大阪)を敢行。地元のファンの方のみならず、東京からもたくさん駆けつけてくれ大盛況。

マネージャーが新幹線の切符を無くしたり、初めて行った二条城に感動したりと波瀾万丈の遠征も大成功。

帰京後は、6月23日にSHIBUYA BOXXにて行なわれるバンド・ワンマンライヴ“ お母さんは、心配性”に向け、リハーサルに明け暮れる毎日。 ライヴ当日は、雨予報にもかかわらず必要以上に晴れて真夏日!本番は(予想どおり?)、数多くの失敗を重ねたものの、1年振りのバンド・ワンマンライヴをファンの方々とともに大いに楽しむ。

CM楽曲製作なども手がけ始める。


●2008年

アルバム「センチメンタル道案内」発売。作詞作曲に加え、編曲、ミックス、マスタリング、 なんとジャケットデザインまで自身で製作した意欲作。それに伴うライブ活動を続ける。 タイ、遺跡めぐりの旅へ。インドほどのカルチャーショックは無かったが、微笑みあふれる国柄と、アユタヤの遺跡などを楽しむ。 自転車での像との併走など、貴重な体験をする。


●2009年

「生ローヤルゼリー1000ドリンク」CM曲製作。 2月~3月にかけ、一ヶ月北海道の実家、北見市へ録音合宿に入る。 「あいつの春」「世界とディープキス」「明日はどこへ消える」など、北国ならではの楽曲が出来る。

HPも自分で作り始める。


●2010年

2月 消費者金融「プロミス」のCM曲製作。全国放送。エキストラ出演も。

8月 久々に大阪、名古屋、京都でライブ決行。

11月14日 母校端野中学校の落成式に出演。そこで中学時代のトラウマ、そしてそのトラウマの消失等を含め様々な故郷への思いを語る。

その年亡くなった友人への思いと供に「あいつの春」、その他の曲を歌唱。
全校生徒に本人が使用しているものと同じピックを配るなどまめな一面も。

11月 ゆるやかにユーストリーム生放送を開始。
ゆるやかにツイッターを開始。


●2011年


1月4日 ニューアルバム「夢ばかりのミ・アモーレ」発売 Amazon、iTunesなどでの配信リリース。CDショップよりも全国ダイレクトに聴き手に届くと言う理由から。 作詞作曲に加え、編曲、ミックス、マスタリングを自身製作した快作。 「あいつの春」は故郷を思って歌った曲。この曲は2010年秋、母校の「北海道北見市端野中学校」の落成式で亡き友人への思いと共に歌われた。

「あいつの春」、「世界とディープキス」、「夢ばかりのミ・アモーレ」、「明日はどこへ消える」の4曲は北海道北見市で録音。

3月 東日本大震災を受け、その思いと復興を願って曲を制作。「今日も明日も」が音楽情報誌「musica」の復興祈願特設サイトにて掲載。 「復活の日」完成。

4月 故郷である北海道、北見市端野町でのチャリティーライブに出演。

8月 ユーストリーム生放送「明日まで待てないリターンズ」のべ視聴者数がのべ1万人を超える。

8月 夏に荒川で路上ゲリラライブを決行。告知を2日前にする無茶ぶり。活動の原点を見る。

9/29の誕生日に合わせ、サンプラザ地下のスタジオVOXにて初のスタジオライブを行う。「荒川のゲリラライブをスタジオで」がコンセプト。その後のサンプラザ前路上ライブも予想外の大盛況に終わる。集団で写真撮影も。

10月 自身初監督となるPV「つかめそうな光」を制作。これにより、作詞作曲、録音、マスタリング、デザイン、リリース、ライブ、Web制作、そしてPV撮影まで一人でやる超セルフプロデュース状態に。


●2012年

映像監督「石元雅人」と共に「世界とディープキス」「どうかしてるタイムライン」「東京タワー」などを制作。 このころより新宿を中心にライブ活動を展開。

●2013年

3月2日 アルバム「Yesterdays」発売。レコ発ライブチケット完売。ユーストリーム生放送「明日まで待てないリターンズ」のべ視聴者がのべ3万人を超える。


●2014年~現在

2014年 4月21日 ベストアルバム「K.O」発売

CM曲制作 東海地区 ニッショー2014 / ラジオリクルートライフスタイル 等


2015年 ゲーム音楽制作開始
九十九姫 (DMMオンラインゲーム)
剣戟のソティラス(オンラインゲーム)等

2015年 CM曲制作 東海地区 ニッショー2015
2016年 CM曲制作 東海地区 ニッショー2015

2017年 5月 札幌に移住 拠点を札幌に移す

2017年 YOUTUBE生放送 不定期オーノ便 開始

2017年末 きのとや『北海道ミルククッキー 札幌農学校』WEB CM音楽制作

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